12/20(水) ウェブでのヨガ連載の撮影、終了 その2

そのころ僕はテレビCMの制作をしていた。「プロダクションマネージャー」っていうと、ちょっとエラそうに聞こえるけど、コマーシャル制作進行の全体「人・金・スケジュール」を管理しながら、撮影の時はタレントにお菓子も持ってくしカチンコもたたく、まさに「なんでも係」だ。でも、Kと一緒に仕事をした頃の僕は、まだ一人前の「プロマネ」じゃなかった。

TVCM制作会社でバイトしていた従兄弟が、就職でその会社を辞めることになり、なりゆきでバイトの後釜になったのが始まりだった。できあがったコマーシャルのテープを、電車に乗って広告会社やテレビ局に配達する仕事。配達するのは一日3、4回で、空いてる時間は会社でずっと待機。その頃は、仏教とキリスト教や西洋哲学との関係性に感心があったから、そんな本をたくさん読めた。バイトを始めて3ヶ月後に、結婚してニューヨークに引っ越す事が決まっていたから、それまでの短期アルバイトのつもりだった。素晴らしい上司と、チームでなにかを作っている場所を横目で見たけど、予定通り結婚してアメリカに行った。

NYの大学に留学する予定だったのが、家庭の事情で数ヵ月後に日本に戻る事になった。すこし、じゃないな、かなり希望を失っていた。制作会社の時の上司と、錦糸町で飲んだ。その人は、いつももの静かな、でも飲んで哲学の話になると止まらない、でも腹にヤクザと喧嘩してやられた大きな傷がある、でもちょっと神様ちっくな人だった。朝まで飲み明かしたらしい。二人ともすっかり記憶はなかったんだけど、朝起きたら、その上司の家で奥さんに、そう言われた。上司はもう出勤していた。そのまた翌日から、僕はまたその会社で配達のバイトをする事になっていた。

15万円位のバイト代をもらいながら、毎日テープをアチコチに運んだ。一年半位バイトして、もう少し妻にいい暮らしをさせたくなってきてたら、上司が「社員になった方がいい」と言われた。上司は、僕を自分の後継にしたいと言っていた。人事やってる役員に「社員になりたい」と言い、上司も尽力してくれたけれど、「配達係」では社員になれず、会社としては「制作部に移動するならオッケー」と言う。会社には、逆に制作部入りを強く薦められ、ぼくもなんだかその気になってきて、その時の上司に「自分を試してみたい」とかなんとか言って移動を願った。確か、返事はキチンとしてもらわなかった気がする。しばらくで僕は制作部に契約社員として移動した。それから、前の上司と飲む機会は無くなった。

最初に制作部に所属されてしばらくは、ディレクターになろうと思ってた。なんとなく「自分のイメージ」をチームで形にできるのが楽しそうだったかもしれないし、「自分の言いたい事」じゃなくて「どこかの企業の為」に作る仕事だし、なんとなく「これならできるな」って思ったのかもしれない。新しい上司達も、そのつもりでいるようにも感じていた。