ヨガの心で恋をする

ここのところ、普段はほとんど観ないテレビを、けっこう観た。これもオバマ効果か。

バレンタインデイが近いからか、たまたまか「恋愛」を素材にしたものをよく観た。ちなみに何年も前から企画してて、今年のバレンタインデイとホワイトデイに名古屋でやろうとした「ハーフプライマリーを覚えて、人生のハーフ(伴侶)と出逢っちゃお!」なネルトン系ヨガワークショップは企画倒れに終わった。

いつかやる。

遭遇したテレビ番組は、野島伸二脚本の連ドラ「ラブシャッフル」とか、NHKスペシャルの「女と男」とか、米ドラマのコールドケース(キーパーティーが殺人事件に至る話(4-7「日食」)で、ラブシャッフルと似た感じだけど、関係人物が年長でアメリカ人)などなど。

映画でも、恋愛モノはアカデミーとかとらないとまず観ないし、妻とは付き合って23年目だし(^_^;)、いやはやさすが21世紀か刺激的だった。

「ヨガの心を貫く恋愛」ってどんなんだろうな?ってのは、以前から興味がある。

NHK特集「女と男」によると「恋愛」って「(より安全・確実に)子孫を残す為に、(自然とかが)人間だけに与えたシステム」らしい。

チンパンジーは「乱婚」だそうだ。メスは時期に入ると、オスをどんどん受け入れる。自然「その場の競争」は激化する。

オス同士もだし、オスの精子同士も、同じ、狭い場所の中で「競争」を繰り広げる。たった1つの海を求めて。

神か自然かわからないけど「そうゆう競争ではない可能性」を実験しようと、何かが意志をもって、動物でもあるヒトに、恋愛やLoveって概念やシステムを、舞い降ろしたような気がしてならない。

それでも、ヒトの精子は年々衰えて動きも鈍くなっていく。世界的な傾向らしい。そんな中も、チンパンジーのオスの精子は、昔と変わらず活発に動きまわる。

僕も、ヨガやってる風な言い方をすれば、競争してる時の気分は好きではない。特に勝者の気分。

スーパーでラップされた魚の切り身を見たときの、あの気分もそう。罪悪感とは違うけど、ただただ有難いことだけどなんか思っちゃう、連鎖の頂点としての、ある種傲慢な悲哀感。少し諦めて冷たい人のフリをする。誰しも同じだと思う。

一方で。「なにくそ!」「ぜってー負けねー!」この手のエネルギーが、手っ取り早く大きな力や短期的な結果を持ちうるのも、なんとなく知ってる。

僕が生きるためにも、愛する人や同志を守るためにも、手は出さないけど、いつも左の頬をさしだしもしない。本当にいつも差し出せる何かに出逢えたらラッキーだけど、そうかどうかは自分の五感と思考と、世界を観て決める。

僕は「ヨガと恋愛」の話をしている。たぶん。

関心があるのは、もう少し大きな生き残りのためにも、もっと新しい人類の安心や平和にとっても、誰かや何かを「排除する必要」は常に生まれるのか?ってことなんだろう。そこにも「スピード」が必要なのか?誰かや何かが私心なく動けるシステムや環境を作る土壌なり土台なりロールモデルを、今の地球はどこに求めてるのか?って事かもしれない。それが見つかったとき「多様性」って言葉は「ONE LOVE」に変換されるのか?

「恋愛」を「解放」とか「成長」「進化」とかの言葉におきかえると、毎日の些細な日常が、1つ1つのモノや1人1人の人間への視線の向け方や、それらへの振舞いも変わっていきそうな気がしてきて、それは新しい大きな一歩だった。

僕は態度も話し方も、武骨で冷たい。よく誤解もされる。妻にはよく「貴方は報われない人」と言われてきた。それで良いと思ってきたけど、きっと「そうゆう愛」が足りなかったんだ。

昔、永瀬正敏が出てたサントリーのCMのコピー「愛だろ、愛っ。」(佐倉康彦)が、違う入り口から、また僕に入ってきたみたいだった。あのCMから15年。いままたアメカジがキテるらしいけど、僕が高校生の時に始まった「渋カジ」とは、違う。あの頃僕は、広尾の中央図書館や渋谷で、渋カジが波及していく姿を間近でみれたから、なんとなくわかる。田坂広志風に言えば「螺旋を描いて、くりかえしながらも、進化しつつ上昇する」ってやつか。まるでクンダリーニだ。

僕達個人に残された時間。人類に、地球に、宇宙に残された時間。

ヨガは「サバイバルのテクニック」でもあると、古代の、現代の、先達は言う。

それが「個人」に向けられた言葉なのか「社会にも」向けられた言葉なのか、僕は知らないけど、変化が必要ない時代がくるなら、ヨガもいつか必要なくなるだろう。

でも僕はそこまで楽天家じゃないから、馬鹿にされたって恥ずかしくったって、誰かと話を続けよう。こうゆうタイプは、行動し続けるしかないんだな。